「天の軍勢に囲まれている」 01.10.28 列王記下2:1〜14、コリントU4:7〜9
預言者エリヤは、王さまから目のかたきにされながらも、イスラエルが真に正しい国になるために労し、
生涯をささげました。そのエリヤの弟子であったエリシャは、エリヤの最後が近いことを察して、
自分が尊敬するエリヤのようになって、後継者になりたいと願っています。
エリヤは、「わたしの最後を正しく見れたなら後継者になる」と言います。
エリシャは、エリヤの最後に何を見たのでしょうか。火の戦車、火の馬でした。
それは、エリヤを包みこみ、支え、励ましてきた天の軍勢といってもよいのです。
エリヤが天の軍勢に囲まれていたこと。そしてその軍勢に自分も囲まれることの確信を持った時に
エリシャも、神の僕(しもべ)として生き始めました。
この天の軍勢は、昔のエリヤやエリシャという人物だけを囲むものではありません。
聖書は、「あなたもその軍勢に囲まれて生きられる。」、「主に従い主に仕えるあなたを天の軍勢が囲んで
いることを信じて生きなさい。」、「天の軍勢があなたを包み囲みたいと願っている。」と迫ってくるのです。
それを信じる信仰の目を持つことで、真に自分として生き始めるのです。
キリストの救いを知らされ、教会に連なるものとされているあなた方は「土の器に宝を納めている」と
語りかけられています(コリントU4:7)。人それぞれに器はさまざまです。
エリヤやエリシャ、またパウロといった聖書に登場する人物たちと、自分は同じ器ではありません。
しかし、エリヤという器を力づけ、励まし慰めた天の軍勢が、この自分という器をも囲んでいます。
囲まれているだけにとどまらず、キリストという宝が、自分という欠け多き器の中に、喜んで納まって
くださる。
自分という器が器らしさを発揮し、自分という器としてじっくり存在していけるようにと、
私たちを囲み、私たちのうちに納まってくださる。
囲むことを妨げ、納まることを妨げていた器自身が持つ罪や汚れは、キリストの十字架によって
すでに取り除かれてしまっているからです。